どうも、ふんどし男マイタケです。
世の中にはサラリーマンが腐るほどいます。
しかし、自分の会社が好きで好きでたまらない人というのはそれほど多くありません。
「フリーランスになりたい!社長になりたい!・・・でもどうすればいいかわからない・・・」
「そもそもどんな人が、どういう思いでやっているんだろう?」
「すでにやっている人の話を聞いてみたい!」
そんな思いに応えるべく、私が実際に会いに行って話を聞いてきました。
20代フリーランスのMさん
10月某日。新宿にて待ち合わせ。
一旦麺屋翔でラーメンを食べてからインタビューを開始。
打ち解けていたので何か恥ずかしい感じもありながら話を始めた。
今回は写真を撮り忘れたのでフリー素材をざっと見てMさんに最も近い雰囲気の人の写真をば。ただ全く似てはないのでそれは了承いただきたい。
もっと優しい顔、雰囲気をしているがとりあえずこれで。
私もSEということもあり、Mさんとは気楽に接することができてありがたかった。
和気藹々とした雰囲気で会話をすることができた。
Mさんの生い立ち
わんぱく小学生Mさん
小学生のMさんはとてもわんぱくだったそうで、とにかく怖いもの知らずだったそうだ。
体を動かすのが好きで、幼稚園ではサッカーに水泳。小学校2年生から野球を始めた。
そして6年生では野球チームでキャプテンを務めた。
ただ5~6年生での食欲が凄かったらしく、太ってしまったそうだ。
しかし運動はしているので動けるデブで、リレーの選手になるほど足は速かったとのこと。
女の子とも仲が良かったそうで、小学生にしてリア充臭が漂っていたようだ。
そんな小学生Mさんの夢は野球選手であり、これは高校生まで見続けた夢となる。
思春期到来。中学生Mさん
中学生となったMさんにここで思春期が到来した。女の子と話せない時期である。
勉強に関しても、祖父が優秀な弟と比較してガミガミ言ってきたそうだ。
そしてますます勉強が嫌いになるという悪循環。う〜ん思春期。
当時は自分に自信がかなりあったそうで、やればできるの精神でいたとのこと。
野球部での活動に明け暮れた結果、ピッチャーをしていたが故障してしまう。
しかしサードとして復帰し、レギュラーを勝ち取り、市の大会で優勝。
当時も野球選手になるのが夢で、小学生の時とは違い「稼げるスポーツ」だからという理由が追加された。お金の大事さに気付いた時期でもあったそうだ。
夢潰えた高校時代
Mさんは公立の家から近い野球の強い高校に進学。
思春期は継続し、相変わらず女の子と話すことができなかったそう。しかし周りは彼女ができ始め焦ったとのこと。
部活で坊主頭にしていたので、早く坊主頭を辞めたかったらしい。
野球部では1年生にして秋大会でベンチ入り。70人中の20人に選ばれた。
しかしMさんは高校時代に怪我をよくしてしまった。4~5回骨折をしてしまったのだ。
ある日バッティングマシンを使ってバント練習中、シンカーが指をえぐった。
ある日脇腹が疲労骨折した。
ある日怪我でベンチ外からレギュラーをサポート中、キャッチャーが悪送球してMさんの顔面に硬球がぶち当たった。
などなど。怪我が多く、また体格にも恵まれなかった。
野球は好きだったが、どこかしら体は痛めていたと語ってくれた。
野球部引退後は進学することを決めた。
勉強も頑張っていたので成績も特に数学がよかったそうだ。
そしてこれからの時代稼ぐならITだと考え、情報科の受験を選択。
猛勉強した。が、ドラゴンボール完全版の誘惑に負け赤本と称して読んだ。
結果、MARCHは不合格。神奈川大学に進学した。
余談だが、受験後についに彼女ができたそうだ。
3年の夏に1つ下のマネージャーに花火大会で告白されたとのこと。
その時は受験があるので断ったそうだが、受験後に改めて告白して付き合ったのだそう。
青春である。
大学時代
晴れて大学生となったMさんに肌荒れ&ニキビが大量発生。
一体何が起きたのかはわからないがそうなったらしい。
そのせいもあり、大学では自分を表現できなかったのだそう。
女性はおろか男性ともろくに話すことができず、明らかにコミュニケーション能力が下がったのだそうだ。
サークルはテニスサークルに入ったが、友達ができたら行かなくなりバイトと勉強に勤しんだとのこと。
バイトは塾講師や弁当の配達をしたそうで、野球も高校の野球仲間と日曜日に草野球をし、今でもたまにやるそうだ。
大学3年で彼女と別れ、その後期に研究室の人と付き合った。
Mさんはよく想像されるような大学生生活を謳歌されたようだった。
就職はITのベンチャー企業に決めた。早く自分で仕事ができるようになりたかったのが理由らしい。自分なりにいい会社に入ったのだそうだ。
会社員からフリーランスへ転向
フリーランスとなったきっかけ
Mさんは会社員となり、5年間勤めてからフリーランスになった。
きっかけは人との出会いだったそう。
当時、「会社員として数年後に自分の上司と同じ立場になったとして、幸せなんだろうか」と考えた。
いくら頑張っても自分の給料も決められないということに不満を持っていたところで、SEをしながら別の事業で稼いでいる人に出会ったそうだ。
Mさんは休日に勉強をしたり独立した先輩の手伝いをしたりもしていたが、その人の影響でフリーランスになることを決意した。
フリーランスを選んだ理由
Mさんがフリーランスを選んだ理由は、まず単純に収入がいいからだそうだ。背に腹は代えられぬ。
そして、会社や先輩に甘えずに自分の力でどこまでやれるかチャレンジしたかったのだそう。
このチャレンジ精神見習いたいところである。
フリーランスになった今思うこと
フリーランスとなり、個人事業主となり、Mさんはまた祖父と話すようになったそうだ。
仕事を通して人は成長するが、会社だけでは物足りないらしい。
また現在はメンターがいるそうで、経営や価値観などを学びフリーランスの仕事に活かしているとのこと。
MさんはこのままITの仕事でずっと食べていくつもりはないのだと話してくれた。
フリーランスは今生活するためにやっており、自分の事業に投資していて、自分の自由な時間を得るべく頑張っているそうだ。
Mさんの将来の夢
Mさんは将来、世界一周したいそうだ。
給与所得でない収入で生活するのが目標で、年収で3000万円になったら世界を回るとのこと。
また、物欲はないので仕事仲間に使ってあげたいのと、親兄弟に孝行したいのだと語ってくれた。
おすすめの本
Mさんおすすめの本は、植松努さんの「NASAより宇宙に近い町工場」や、堀江貴文さんの「ゼロ」、斎藤一人さんの本全般だそうだ。
脱サラしたい人に向けて
今の人には将来の夢がない人が多いのが気になるそうだ。
失敗してもいいから取り組むと決めてチャレンジしていくべきだと。
Mさんの好きな言葉に「無計画は失敗を計画している」というものがあるそうで、何も考えずに生きているのは死んでいるのと同じなのだそうだ。
自分の人生は自分で保証しよう。また、人との出会いは大切にとメッセージを送ってくれた。
終わりに
今回は20代でSEのフリーランスとなったMさんと会うことができました。
フリーランスは30代半ば〜40歳くらいの人が多いイメージだったので、若くしてフリーになる決断力は見習いたいと思いました。
しかし何も考えずにとにかくフリーになったのではなく、計画性をもってフリーになったようでしたので、そこはやはりSEらしさを感じました。
脱サラを考えている人はMさんのようにチャレンジしていったほうが自分の人生を生きていけるのではないでしょうか。
さて次回はどんな人とお会いできるのでしょうか。とても楽しみです。
以上、マイタケレポートでした。
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ここまで読んでいただきありがとうございました。