どうも、ふんどし男マイタケです。
世の中にはサラリーマンが腐るほどいます。
しかし、自分の会社が好きで好きでたまらない人というのはそれほど多くありません。
「フリーランスになりたい!社長になりたい!・・・でもどうすればいいかわからない・・・」
「そもそもどんな人が、どういう思いでやっているんだろう?」
「すでにやっている人の話を聞いてみたい!」
そんな思いに応えるべく、私が実際に会いに行って話を聞いてきました。
若くして数十億の事業を提案されるOさん
10月某日。渋谷のとあるお店にて待ち合わせ。
私が道に迷い、少々遅刻して合流したが全く嫌な顔ひとつせず迎え入れてくれた。
Oさんはとても人懐っこい笑顔で、見た目通りかなり若い方であった。
写真OKということだったので、御尊顔をば。
以前写真は横向きだと学んだはずが、またしても縦向きに写真を撮ってしまった。
どうでもいいことだが、このOさんは私の大学時代の後輩にかなり似ている。
見た目だけでなく、声や話し方、笑い方すらも似ていて衝撃を受けた。人間3人は似た人がいると聞いたことがあるが、なるほどこういうことかと思った。
Oさんは色々な仕事の案件が来るそうで、数十億円の物の営業の話なども来るそうだ。そんなの売れるのかとも思ってしまうが、世界は広いということだろう。
今回はハンターから社長にジョブチェンジしたOさんの生い立ちを記していく。
Oさんの生い立ち
ひたすらに遊んだ小学生
Oさんは小学生の頃かなり大人しかったそうだ。
なんでも父親が画家で、言葉ではなく絵で語るタイプでその影響を受けたのではないかという話であった。
しかし母親は逆に物凄くよく喋る建築士だったそうで、事務所も構えてバリバリ働く人だったそうだ。
ある日、父がボソリと呟いた「おかんには勝てん・・・」という言葉に妙に納得したのを覚えているそうだ。きっとOさんも尻に敷かれるタイプとなるであろう。
小学生のOさんは兎に角遊んだそうで、マリオパーティ3にポケモン、デュエルマスターズが流行ったとのこと。特にデュエルマスターズはクラスの大半がやっており、デュエリストでければ非国民扱いを受けたそうだ。子どもって怖い。
またケイドロに命をかけていたそうで、一つのことに集中していくOさんの人となりが垣間見えた気がした。
デュエリストからハンターにジョブチェンジした中学
中学生となったOさんは、デュエリストを卒業しハンターになった。
そう、モンスターハンターにハマったのだ。しかもPSP版の。
私自身もハンター時代があったが、あのゲームの中毒性は物凄いものがあった。
案の定Oさんもドハマリしたそうで、ずっと睡眠不足だったそうだ。
成績も最下位ではないけれど・・・というレベルで、勉強よりも友人と如何にしてリオレウスを狩るかの方が大事だったとのこと。
更に、当時好きな娘に告白して振られ、Oさんはますますハンター生活に溺れていったのだった。
ゲームのハンターからリアルハンターへ。高校時代
勉強はほぼしなかったが、受験して古墳がある高校へ進学したOさん。
その高校を選んだ理由は「制服が可愛かったから」
ハンターは装備を重視するのだ!!
そして部活は弓道部を選択。
理由はもちろんゲームで弓のハンターとなっていたから。そして弓道着が可愛かったから。そして学生でしかできないようなものであったから。
動機は半分不純であったが、その高校の弓道部は思いの外強いところでインターハイへ出場するような高校だったのだそうだ。
そのためリアルハンター生活が多忙となっていったのであった。
そんな中、Oさんの父親が他界。Oさんは危機感を覚え、勉強を始めた。
クラスの勉強ができるやつを目標とし、PSPに一切触らず勉強し、最終的にはその人に文系科目で勝ったそうだ!!周囲も「あのハンターOが!?」と驚きを隠せなかったらしい。そりゃそうだ。
リアルハンター継続。大学時代
勉強に関して覚醒したOさんは大学受験を一発合格!
関西の有名私立大学である、同志社大学の経済学部に進学した。
それから4年間の夏休みが始まる・・・
大学生となったOさんはアーチェリー部に入部。改めてハンター生活を再開する。
その部ではオリンピックの銀メダリストから教わることができたそうで、山にこもって弓を撃っていたそうだ。
フィールドアーチェリーというれっきとした競技の一つであり、山の中に的があってそれを4人パーティを組んで撃って回るのだそう。
それはまさにモンハンそのものであったのだそうだ。ぱーふー
また自転車も始めたそうで、香川にうどん巡りに行ったり、しまなみ海道のサイクリングロード(70kmくらい)を3回行ったりしたそうだ。
旅行だと、卒業旅行で三重の地中海村という「パスポートの要らない海外旅行」に行ったり、ゼミがタイの経済に関する開発経済学だったので教授のコネで2~3週間タイに滞在したのだそう。
物凄く充実した大学生活を送っていたようであった。
サラリーマンをしながら起業
大学を卒業したOさんは某大手企業のグループ会社に就職した。
購買・調達の仕事をしたそうで、他社の営業さんから見積もりが来たらとりあえず跳ね返すというものだったとのこと。
大手の電機メーカーを相手にすることも多かったそうだが、見積もりはとりあえず跳ね返していたのだそうだ。
Oさんは4月に入社後、会社の業務をこなしつつフリーでやれる仕事もやり、収入の柱を増やしていたとのこと。
この仕事がいい感じに回ったので法人化し、独立に至ったのだそうだ。
そして人脈を辿り、今やっている仕事に行き着いたのだと話してくれた。
サラリーマンをやっている私としては、この「別で収入の柱を作ってから独立」という流れはとてもいい流れだなと話を聞きながら感じていた。
出版、WEBの仕事をするOさん
Oさんは現在、出版やWEBの仕事をしている。
具体的には、電子書籍で著者のプロデュースをしたり、様々なネット広告を組み合わせての広告の運用をしているとのこと。
また、イベントを主催してニーズある人同士でのマッチングもしているそうだ。
Oさんは1人で仕事をしているわけではなく、チームでやっているそうで、遊びや無謀な事を一緒にやれる人と仕事をしているらしい。
また著者のプロデュースに関しては編集者の人脈が凄まじく、とあるマーケティングのプロの人は4日で7000万円の利益を叩き出す程だそうで、「この人からスキルやマインドを学べば将来食っていける!!」と思い学んだのだそうだ。
Oさんの元には現在色んな案件が舞い込んでくるそうで、面白いものではジャンボジェット機の営業や絵画の転売の話がきたそうだ。
ジャンボジェット機なんて誰にどうやって営業すればいいか私には全くわからないし、絵画をどこから買ってどこに売れるのかも全くわからないが、Oさんにはあるのだろう。色々と。
現在Oさんは自由に仕事をしているとのことで、最近チャレンジしたのは仲間内である電子書籍を「Amazonで総合一位にしてやろう!!」としたらしい。
その時のトップが半額セール中の「君の名は」
しかしまさかの一位になったのだそうだ!!・・・恐るべし。
将来の夢
Oさんに将来の夢を聞いた所、「目標を決めると視野が狭まるので、今は柔軟に色々なことをしている」と話してくれた。
稼いだお金は投資に回しているそうで、お金を増やす投資ではなく「知識投資」と「体験投資」に回して経験したことないことをすることにお金を使っているのだそうだ。
やってみたいことはあるらしく、キャンピングカーで世界を回りたいのだとか。
しかも仲間と4〜5台くらいで一緒に回りたいとのこと。ハンター魂は残ったままのようであった。
オススメの本
Oさんがオススメする本。それは「超一流の二流を目指せ」。
これは著者がバケモノだそうで、プロデュースした人達が有名な人達であった。そんな人が本当は言いたくないことを本にしたものだそうで、Oさんは物凄く感銘を受けたとのこと。
一度は読んでおくべき本であるだろう。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
今回は次世代型のフリーランスとして活躍されているOさんとお会いすることができました。
Oさんはサラリーマンをやりながら起業し独立された経歴を持つので、今サラリーマンをしていて起業しようか迷っている方には一つの成功例として勇気を与えられたのではないかと思います。
そして現在のハンター達の中に「ハンターなんてしていていいのか・・・?」と思う人がいたら、将来社長になることも可能なのだと未来に希望をもって過ごしてもらるのではと思います。
結局はOさんのように収入の柱を構築していく必要はありますが。
さて次回はどんな人とお会いできるのでしょうか。とても楽しみです。
以上、マイタケレポートでした。
<前 東京でカフェ使い放題!?ゼロカフェ社長に会ってきた!(CASE15.ゼロカフェ代表取締役 和栗さん)
恋愛できない大人に愛の鞭!Dr.みわに会ってきた!(CASE17.恋愛・結婚コンサルタント 熊谷美和さん) 次へ>
ここまで読んでいただきありがとうございました。